2012年1月10日火曜日

京都年越し旅④


東大寺

 世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿(金堂)。間口57メートル、高さは天平時代と同じ47.5メートルある。(これでも以前より縮小!)近くで見ると本当に圧巻。現在のものは江戸時代に再建された三代目。

 728年、聖武天皇が1歳にならずに亡くなった第1皇子の基王(もといおう)を弔うために金鐘山寺(きんしょうせんじ)という小さな寺を建てたのが東大寺の始まり。

 東大寺最初の大きな受難は、平安末期の源平合戦のとき。平重衡の軍勢が南都に攻め込んできたとき、放たれた火によって大仏殿をはじめ、大半の伽藍を失うこととなる。1180年のこと。大仏殿は数日にわたって焼け続けたという。

 この事態を嘆いた僧侶の俊乗房重源が立ち上がる。全国で資金集めをし、源頼朝や後白河法皇に掛け合って援助の約束を取り付け、1185年に再建が始まった。
 1195年には、源頼朝、北条政子夫妻や後鳥羽上皇も参列して大仏の開眼供養が行われた。


 更に時は流れて戦国時代。大和の国も戦乱に巻き込まれ、反乱を起こした松永久秀によって再び大仏殿は焼かれることとなる。二月堂や南大門などが残ったもの の、大仏殿は焼失、大仏も大打撃を受け、戦国の世で再建は進まない。仮堂が建てられるも、1610年の暴風で倒壊し、その後100年間、大仏は野ざらしの ままとなる。


 大仏の修理がようやく行われたのは江戸時代の1691年になってから。大仏殿が再建されたのは綱吉の時代の1709年のことだったそう。


 明治時代の廃仏毀釈の嵐をどうにか乗り越え、明治と昭和の二度の大修理を経て、平成10年には世界遺産に登録され、今に至っている。年間300万人が訪れるという。


盧舎那仏像(金剛仏としては世界最大)

「源氏と平氏の争い」、永禄10年(1567)には、戦国時代の真っ只中で首や手を焼かれてしまいます。、胴体部分は、寿永2年(1183)に、顔は江戸時代の元禄年間(16881704)に修復され、現在に至っています。奈良時代に造られた部分は、台座の一部等が残されているだけとか。

それでも、いまこうやって修復された姿を見れる私たちは幸せですよね。

この大仏様は平和を願う華厳経のもとに作られたと聞きました。

暗い大仏殿から出ると、明るい日差しにたくさんの観光者。

みんなそれぞれの今の幸せそうな顔が印象的でした。

(それにしても、中国人観光客の多いこと!)

この平和がいつまでも続きますように



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